12月27日はジュビロ磐田、そしてカールスルーエSCで活躍する山田大記選手の誕生日だそうです。ジュビロでもカールスルーエでも10番を背負い、ブンデスリーガ2部でも主力選手として活躍していますね。
その山田大記選手がフェイスブックで書いていた記事が興味深かったのでご紹介。挫折を味わいながらも、親に見守られながら未来を信じてサッカーに取り組んだ中学時代を振り返っています。
~1番の教育者~
サッカー人生で一番の挫折は?
取材でよく受ける質問です。
「中学時代、約2年間試合に出られなかったこと。」
僕は決まってこう答えます。
小学生の時には浜松JFCというチームで全国少年サッカー大会優勝。
ナショナルトレセンにも選んでもらいました。すみません自慢です。(笑)
でもわずか半年後、所属チームですら、試合に出られなくなりました。
なかなかな落ち幅だと思いませんか?(泣)
当時は本当に悔しかったです。
まだ13歳、14歳だったからそのモヤモヤの対処法もわかりませんでした。
でも不思議と、辞めるとか諦めるとかって全く思いませんでした。
そんな風に話をすると記者さんは、
「それでもサッカーを辞めたいとは思わない程、山田選手は強かったんですね。」
そんなことを言ってくれます。
でも、僕は全然強くなかったです。今も大差ないですが(笑)
練習の帰りに父親の車の中でよく、メソメソ泣いていました。
夜寝る時にベッドで1人、悔し泣きしたこともたくさんありました。
※なかなかカッコ悪くて書くか迷いました(笑)つらかったし弱かったのに、なんで投げ出そうという考えすら浮かばなかったのか。
そうゆう選択肢を思い付かないほど、僕がバカだったから?
はい、恐らく正解です(笑)
でももしも理由が他にあったとしたら、
今思い返して1番影響を受けたと思うのは、父親の言葉です。
※気付くのに10年掛かりました(笑)練習の送り迎えをしてくれる車の中で、よくこんな言葉を掛けてくれてました。
「今は体が小さいから体力の差で試合に出れないけど、背が伸びて筋力がついてくれば大丈夫。」
「こうゆう時に頑張れるかどうか。見ている人は見てるし、必ず自分に返ってくるから頑張れ。」
※その時は、僕の涙を余計に誘うだけだったのですが(笑)
そうゆう言葉の積み重ねに無意識に感化されて、どうにか前向きに、好きなサッカーを好きでいられたのかなと。そんな結論に至った今ふと思うことは、
もしあの時親父に、違う励まし方をされてたらどうだったかなってことです。
もし親父が、”コーチに見る目がない”とか、周りの何かが原因だというような励まし方をしてたら、僕は人のせいにしてふてくされてたかも。
かと言って僕自身の能力や可能性を否定されても、きっと自信を失ってしまった。
あくまで想像ですが、そう思います。
コーチや先生、仲間たちの存在は僕にとってすごく大きな存在だったし、今もそうですが、
やっぱり1番の教育者は親なんだなって、そんな当たり前のことを今感じてます。だから、サッカーをしてる子供を持つ親御さんには、
まずは出来る限り練習や試合を見に行って、何も言わなくてもいいからそっと見守ってあげて欲しいです。
そして言葉を掛けるのなら、
誰かや何かを否定するのではなく、可能性に対する前向きな言葉を掛けてあげてください。
未来の可能性という意味で、10年後はどうなってるかなんて誰にもわからないんです。
前述のように、ジュビロの下部組織ですら試合に出られず、ユースにも上がれなかった。
そんな僕が10年後にヤマハスタジアムのピッチに立っているなんて、僕自身も想像できなかったことです。
楽観でも悲観でもなく、ただ単純に、未来というものは信じてみる価値のあるもの。
そんなことを子供に伝えられたら、それだけでも素晴らしいことだって思います。出典:Hiroki Yamada Facebook
そして、以下の動画は、試合に出られず挫折感を味わった中学時代のことや、努力することの大切さを中学生に語っています。山田大記選手の素晴らしい人間性と知性がうかがえます。